星降る夜のファルネーゼ - Preview
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「星降る夜のファルネーゼ」のクロスフェードプレビューをどーぞ。
(一応、販促目的で置いてるけど、何ぶん18禁ゲーなので入手できない方もいると思いますが。)
この作品では、声優さん周りの作業全般と、作詞と歌だけはお願いしたけど、それ以外の全サウンドを担当しました。
いろんなジャンルの音楽を網羅したおかげで、その都度必要な楽器のプラグインを買い足しつつ、インストールしても音が出なくて困りつつ、設定方法から使用方法まで調べつつ作った。
2曲ほどクラシックの、4声のコーラスパートがあるけど、このコーラス音源なんてUPする直前に買ってるもんね。他の全曲が仕上がった後でもこの2曲だけは上手くハマらなかったから、観念して買ったっつー。

[ Music ] SoundCloud
2018-02-05 09:53:32



▼ 人の世は夢のごとし

ふと昔のとある友達が気になって、ネットで検索してみた。

そーゆー目立つヤツ、と云うか、そーゆー目立つ活動をしてそうなヤツだったから、たぶん見つかるような気がした。
そしたら、いた。
いや、たぶん、もういないと思う。
それなりのペースで更新されていたブログもFacebookも、Twitterでさえも、一年前で止まっていた。
どうやら、壮絶な闘病を繰り返した人生だったらしい。
最後の更新も、明日病院へ行って難病と闘う決意を示して終わっている。
あと一年、早く見つけていればな。
と云っても、何ができるって訳でもないんだけど。
いや、きっと、こーゆー姿は友達に見せたくなかっただろうな。

体のデカイ、ど根性ガエルのゴリライモみたいな風貌の男だった。
専門学校の入学式の翌日、九十九里の方で2泊3日のオリエンテーション合宿があった。たぶん学校で持ってる宿舎なんでしょう、区画ごとにグランドピアノが1台ずつ置いてあった。
初日の夜にクラスの男子宿舎で、比較的ヤンチャ臭の強いメンバーで車座になって酒を飲んだんだけど、そこで酔っ払った彼が云い放った言葉が、我がクラスにおける最初の衝撃だった。
「オレ、ヤマハのイーストウエストでベストキーボード賞を獲ったぜ」
イーストウエストってのは、当時ヤマハが主催していた全国規模のバンドコンテストだ。コイツ、すげえウメエんじゃん。この一言でまんまとシンセプログラムのクラス内(とは名ばかりで、実体はキーボーディスト養成クラス)でのアドバンテージを握った。
合宿も終わって授業が始まってみたら、確かに上手かった。クラスの中でも別格だった。
面白半分で、ショパンのポロネーズ弾ける?って訊いたら「ああ確か、こんな感じの曲でしょ?」とその場で弾いちゃうんだから驚いた。ただ、キーが違う。指摘すると「オレ、C(白鍵)だったら何でも弾けるんだ」という。それでも十分スゴイ。
作編曲演習という授業があって、一学期の終わりに3人で班を作ってオリジナルを1曲提出するという課題を出された。
班を作ると云っても、ただ出席番号順に組まされただけなんで、番号の近い彼と組む事になったが「シオちゃん、大丈夫だよ、オレが作ってやるから」と云ったきり学校に来なくなった。
音楽学校に有りがちな、こんな勉強やってたってしゃーない現象である。
オレはよく、本蓮沼の彼のアパートで徹マンをやってたから知ってるんだが、DX7II, D50, S50といったシンセやサンプラー、ドラムマシンRX3, シーケンサーQX3にマルチレコーダーといった、1987年当時の最先端マシン群総額ざっと150万円が揃っており、しかもあの演奏技術だからクラスの誰よりも優れたデモテープを作れる状況にあった。
でもあんまり来ないから、いよいよオレが作らないとダメかーと覚悟を決めたところで電話が来て「某日にテープだけ渡しに学校へ行くから」という話になって、マイ作曲計画は無事に流れる事となった。
テープには、1曲だけで良かったのに、CMのような短い曲が数曲入っていて、アレンジやミックスの面ではクラスの誰よりも先のレベルにいた。おかげで我が班は一学期を最高得点で終えたが、やっぱり2学期からは来なくなって、そのまま退学した。
最後に会ったのは、1年の終わりだったかなあ。クラスコンサートを開催した時にゲストで来て、ピアノの弾き語りをやった。
その後の事は、最近ブログを見つけるまで何も知らなかった。やっぱりプロのミュージシャンになったそうで、バブルの恩恵もあって儲けた時期もあったらしいので、そこは友達として誇らしく思う。
ただ、学校を辞めてからは都内の酒場を回って演奏してアル中になったというから、結構な不摂生をしたんだろうな。
胸にでかい手術痕があって、3歳の頃に心臓の手術をしたのは知っていたが、どうやら当時から先天性の病の種を持っていたらしく、不摂生も祟って人生の後半は闘病に苦しんだらしい。
自分が心臓の手術を受けている姿を天井から見てたという幽体離脱を経験してから霊感が宿ったそうで、例の合宿初日に「人には背後に守護霊さまが必ずついているから、普段から感謝しておくといいよ」という言葉が妙に説得力あった。
その一学期の終わり頃、オレは出前のバイト中に60〜70キロの車にはねられた。
大破したバイクが彼方へふっ飛んで行く中、オレは不思議な事に、右足一本だけで甲州街道の中央線上に立っていた。車線の狭い甲州街道だから、もしバランスを崩して倒れてたら間違いなく後続車か対向車に轢かれていた。左足には大ダメージを負ったが、病院で検査したら折れてもいなかった。
彼の云うとおり、感謝をし始めたとこだったから、守護霊さまが守ってくれた気がしてならなかったっつー。

ちなみに、学校に来ない彼の代わりに作ろうとした曲がコレです。
つっても当時は、弾けないキーボードを頑張って1小節だけ弾いて「こーゆー感じなんだけど」ってもう一人の班員に聴かせただけで終わったけど。
[ Weblog ] 音楽
2020-02-29 23:00:24

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